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最高裁判所第三小法廷 昭和54年(オ)174号 判決

上告人

安田火災海上保険株式会社

右代表者

宮武康夫

右訴訟代理人

籠池宗平

平沼高明

服部訓子

関沢潤

堀井敬一

野邊寛太郎

亡入江音松、亡入江キク訴訟承継人

被上告人

原田洋子

右訴訟代理人

嶋田幸信

主文

原判決中被上告人の請求を認容した部分を破棄し、右部分につき本件を高松高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人平沼高明、同服部訓子、同関沢潤の上告理由第二点について

原審の確定したところによれば、1 訴外亡入江誠一(以下「入江」という。)と訴外大田哲行(以下「大田」という。)とは共に訴外加藤徹(以下「加藤」という。)の被用者として本件事故当時共同して作業をしていたものであり、両者は職制上の上司、部下の関係にはなかつたが、入江が大田より約九か月先任で約二年年長であり、経験も豊富であつた、2 入江と大田とは、本件事故当日、本件事故現場において、加藤のもとで整地作業に従事したが、加藤が作業途中で現場から去つたのちも、入江はブルトーザーを、大田はダンプカーを使つて右作業を続け、これを完了した、3 入江は、現場を引揚げる際、同人の運転していたブルドーザーをブルドーザー回送専用車を使用することなく持ち帰ろうと思い、大田に対して、たまたま大田のダンプカーの後部付近にあつた花崗土の盛土を踏台にして右ダンプカーの後部から自分がブルドーザーを運転してその荷台に積み込む方法でブルドーザーを持ち帰る考えを話すとともに、かつてこの方法で成功した経験がある旨をも告げて協力方を求めた、4 大田は、そのような方法による積込みは危険であると考えたが、ブルドーザーの運転免許を有し、ブルドーザーを運転した経験もある入江が前にもそのような方法で積み込んだことがあるというのであるから大丈夫であろうと思つて入江に同調した、5 入江は、大田に対し、(1) ダンプカーの運転席に就き、荷台の後側板を開き荷台前部を約五〇センチメートル上昇させて荷台を傾斜させること、(2) 自分がブルドーザーを運転して右荷台に乗り入れる間はダンプカーのフットブレーキを踏みサイドブレーキを引いていること、(3) ブルドーザーの積み込みが終つたら荷台前部をもとの位置に降すこと、を指示し、大田は、右入江の指示に従い、右(1)、(2)のとおりダンプカーを操作し、入江の運転するブルドーザーが右ダンプカーの荷台に乗り込んでくるのを待機する態勢をとつた、6 入江は、ブルドーザーの運転席に就き、ダンプカー後方付近にあつた花崗土の盛土の山の上ヘブルドーザーを運転進行させ、右盛土の山を踏台としてダンプカーの後部からその荷台上にブルドーザーを乗り入れようとしたが、花崗土の山が柔らかかつたためにうまくいかなかつたので、ブルドーザーで右山を踏み固めたところ、山は固くなつたが低くなり、しかも花山崗土の総量が十分でなかつたために山の上部がダンプカーの荷台後部にまで達せず、その間に約四〇センチメートルの間隔が生じ、ブルドーザーの登はん力をもつてしてもダンプカーの荷台後部に乗り上げることができなかつた、7 入江は、それにもかかわらず、同じ方法でブルドーザーを運転進行させたところ、ブルドーザーのキャタピラが滑り、何回も空転してダンプカー後方付近の花崗土を堀り下げてしまつたため、ブルドーザーは前部を上に後部を下にして立ち上つたようになつて運転席の入江もろともダンプカーと反対側に後転し本件事故が発生した、というのである。

右事実関係のもとでは、大田は、入江に全面的に服従する関係になく自己の判断で入江の提案に同調したものとはいえ先任者、年長者であり、経験者でもある入江の具体的指示に従つてダンプカーを操作したものであり、入江は、大田といわば共同一体的にダンプカーの運行に関与した者として、少なくとも運転補助者の役割を果たしたものと認められる事情が多分にうかがわれる。そして、自動車損害賠償保障法三条本文にいう「他人」のうちには、当該自動車の運転者及び運転補助者は含まれないと解すべきであるから、本件においても前記事実によれば、入江は大田のダンプカーの運行について他人に当たらないと解される余地がある。ところが、原審は、右の事情がうかがわれるにもかかわらず、これを十分に顧慮することなく、単に入江と大田とが命令服従関係にないことをもつて大田のダンプカーに対する入江の他人性を肯認したうえ、右ダンプカーの運行供用者である加藤に同条に基づく責任を認めたのであるから、右の点で、原判決は、法令の解釈、適用を誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法を犯したものといわざるをえない。論旨はこの点について理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない、そして、本件については、更に入江と大田の共同運行関係について審理を尽くす必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(伊藤正己 横井大三 寺田治郎 環昌一)

上告代理人平沼高明、同服部訓子、同関沢潤の上告理由

第一点 原判決には、自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)

第二条第二項第三条本文の解釈適用を誤つた法令違背があり、右法令違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決及原判決がその理由において引用する本件第一審判決(以下、第一審判決という。)は、

1、加藤方にはブルドーザー回送専用車(以下、回送専用車という。)があり、加藤がブルドーザー運搬に際して回送専用車を使用していたことは入江もよく知つていたこと(第一審判決一五枚目裏四行目から六行目まで)。

2、加藤においては入江に対しブルドーザーを回送するときは専用車で回送するよう指示していたこと(原判決一九枚目表一〇行目から一一行目まで)。

3、ブルドーザーを運搬するには専用車を使用すべきであるのみならず、盛土を踏台に利用してダンプカーの荷台にブルドーザーを積込むことは通常、ブルドーザーがダンプカーの荷台に乗り上がらずに転倒する等の危険を伴うものであり、まして本件のごとく柔らかで、しかも土量の十分でない花崗土の盛土を踏台にするとなれば、その危険性は十分予想されたこと(原判決二〇枚目表二行目から八行目まで)。

4、それにもかかわらず、入江はダンプカーの後部付近地上にたまたまダンプカー一台分の花崗土が余つて山のように盛上つて存在しているのを踏台として利用してブルドーザーをダンプカーの後部からその荷台に積込むことを考え、花山崗土の山の上ヘブルドーザーを運転進行させ、右山を踏台として、ダンプカーの後部からその荷台上にブルドーザーを乗り入れようとしたこと(第一審判決一二枚目五行目から八行目まで、一三枚目九行目から一〇行目まで)。

5、ところが、ブルドーザーはキャタビラがダンプカー荷台後部にひつかかつたものの、同荷台が鉄製であるためキャタビラが滑つて何回も空転し、そのためキャタビラがブルドーザー後部付近の花崗土を堀り下げてしまい、その結果、ブルドーザーは前部を上に後部を下にして立上つたようになつて運転席の入江もろとも後転したため入江は仰向けになつて甲車の下敷になり、程なく死亡したこと(第一審判決一三枚目裏四行目から一二行目まで)。

を事実として認定している。

二、原判決は右の事実を認定のうえ、その理由第三項で加藤の自賠法第三条に基づく責任を肯定するにあたり、その「運行性の点について」と題する理由第四項で、

1、物品を積載して運送することがダンプカーの本来の用法であること。

2、本来は回送専用車に積載して運送すべきブルドーザーも物品であることにかわりがないこと。

3、ブルドーザーをダンプに積載するため大田がダンプの荷台の後側板開き、荷台前部を約五〇糎上昇させて荷台を傾斜させたまま停止していたことは、ダンプを「当該装置の用い方に従い用い」たというべきであること。

と自賠法第二条第二項の「運行」すなわち「当該装置の用い方に従い用いること」を解釈適用している。

三、しかしながら、右解釈は明らかに自賠法第二条第二項、第三条本文の解釈を誤り、最高裁判所の判例と相反する判断をしているものである。

1、自賠法第三条の「運行」とは、同法第二条第二項に定められているように「当該装置の用い方に従い用いること」であるが、原判決には「当該装置についての解釈適用の誤り及び「用い方に従い用いること」についての解釈適用の誤りと最高裁判所の判例違背がある。

(一) 自賠法第二条第二項の「当該装置」の解釈適用の誤りについて

(1) 「当該装置」についての文理解釈

法文の解釈において、先ず第一に重視されなければならないのは文理であり、文理からかけはなれた解釈をなすことは特別の事情がなければ許されるべきではなく、自賠法第一条に定める同法の目的は被害者保護を図り、あわせて自動車運送の健全な発達に資することとされており、自動車の運行とは右自動車運送と関連して解釈されるべきものであつて、「当該装置」も「運行」という場所的移動を示す概念と全くかけ離れた概念として解釈されてはならない。従って、「当該装置」には社会通念上場所的移動に関する装置の付随的装置であり、場所的移動に関連してのみ危険性を有するにすぎない装置、即ち、トラックの側板、後板、バス、乗用車の扉等は含まれると解されても、本件のダンプカーのダンプは、場所的移動とはかけ離れた別個の用途及びその用途に用いることの危険を有するものであるから「当該装置」に含まれないと解すべきである(吉岡「交通事故訴訟の課題」実務民事訴訟法講座3二八頁、井上「自動車損害賠償保障制度の実施状況とその問題点」ジュリスト一七二号四二頁)。

(2) 「当該装置」についての立法者意思解釈

自賠法の立法者は、いわゆる原動機説ないし走行装置説をとつていたものと考えられる(運輸省自動車局編・改訂自動車損害賠償法解説一六頁)が、右立法者の意思は現在までの交通量の増大による事故数の増加といつた交通事情の変化に伴う機能的・法社会学的解釈以外の解釈法により、むやみと軽視されるべきではない。周知の如く、「当該装置」の解釈については、原動機説・走行装置説・固有装置説・車庫出入説と拡大化の傾向があるが、この拡大化傾向は、右機能的・法社会学的解釈によつて認容されるものに留まるべきであると考えられる。従つて、交通技術的(verkehistechnish)な理解のもとに駐停車の状態が自賠法の「運行」に含まれるか否かの問題と、ダンプカーのダンプ等の場所的移動と別個独立の用途及びその用途に用いることの危険を有するものが、自賠法第二条の「当該装置」に含まれるか否かという問題は次元を異にする問題であり、前者は、機能的・法社会学的な現在の交通事情の認識の相違によつて見解が分れるものであるのに対し、後者は、「当該装置」の文理解釈上の制約を当然免れないものであつて、前者と同一の論理によるべきではない。以上の如く、交通事情の変化という交通技術的な理解をもつてしても、原判決の前提とするダンプカーのダンプが自賠法第二条第二項の「当該装置」に含まれるとの結論は支持され得ないのであり、右の結論は立法者の意思を無視しており、解釈論の域を超えていると断ぜざるを得ない。

(3) 自賠法第二条第二項についての最高裁判所の判決について

最高裁判所昭和五二年一一月二四日第一小法廷判決最高裁民集三一巻六号九一八頁(以下最高裁判決①という。)は、自賠法第二条第二項の「当該装置」の中には特殊自動車であるクレーン車のクレーンを含むと判示するに至つている。しかしながら、右最高裁判決は、何故にクレーンが「当該装置」に含まれるのか理由を明らかにしていない。恐らくは、右最高裁判決の第一審津地方裁判所四日市支部昭和四九年一一月一八日が判示するように、このように解するのが「自動車による特殊の危険から被害者を保護せんとする自賠法の立法目的に即応するもの」というに帰着するのであろうが、自賠法の立法目的である自動車の特殊な危険性というのは、自動車が場所的に移動することから生ずる危険性をいうのであることは前述したことから明白である。よつて、右最高裁判決は自賠法第二条第二項の解釈を誤つているので変更されるべきものと解される。

(二) 自賠法第二条第二項の「用い方に従い用いること」の解釈適用の誤りについて

仮りに、本件のダンプカーのダンプが自賠法第二条第二項の「当該装置」に該当し、最高裁判決①が変更されず維持されるとしても、自賠法第二条第二項の「用い方に従い用いること」とは、最高裁判決①によれば「その目的に従つて操作する」ことを言うのであるが、本件ダンプカーのダンプは原判決認定の事実によれば、その目的に従つて操作したとは言えず、原判決の判示には解釈適用の誤りがある。

(1) ダンプカーの本来の目的に従つた用法について

ダンプカーのダンプは、その本来の用法は荷台を地面と平行の状態に置いて、他の機械で土砂等を積載し、土砂等が必要とされる所にはこばれた段階で荷台を傾斜させることによつて土砂等の積載物を降ろすための装置である。(ちなみに研究社の「新英和大辞典」によれば、「dump vt 1、(重い荷物などを)どしんと落す(drop with a thud)どさりと降ろす 2、((米語))(車を傾け又はひつくり返して積んだものを)降ろす(shool, tilt down)n.放下車(貨車)(cf.dump cart)adj(トラックや貨物車などが)砂利・石炭などを降ろすのに便利なように)車体を傾ける「底を開く」装置のある」と記載されている。)

(2) 本件ダンプの用法がその本来の目的に従つた用法でないことについて

しかるに、本件では、

イ、土砂とは全く似ても似つかないブルドーザーをしかも降ろすのではなく、積載しようとしたこと。

ロ、ブルドーザーを積載するにあたつて、本来積載物を降ろすときにするように荷台を傾斜させていたことが認められ、右の用法は原判決も認めている如く、いわば軽技にも比すべく危険なことであり、ダンプをダンプ本来の目的に従つて操作したとは言えないことは明らかである。それにもかかわらず、原判決は「物品を積載して運送することはダンプカー本来の用法である」と判示して何らの疑問をいだいていない。しかし、これは物品を積載してしまつた静態的状況と物品をいかなる方法で積載するかという動態的状況を混同していることから生じた明らかな誤解である。物品を積載してしまつた静態的状況を問題とすれば、確かに「物品を積載して運送することはダンプカーの本来の用法である」が、本件の事故は、これから物品を積載しようとした時発生したのであり、物品をいかなる方法で積載するかという動態的状況こそ本件の核心であり、ダンプカーの動態的状況における本来の用法は、積荷を降ろす装置として使用することであり、積荷を積み込む装置として使用することではない。本件原判決の論理には動態的状況を説明するのに右のダンプの動態的用法を直視せず、静態的用法である「物品を積載して運送することはダンプカーの本来の用法である」という抽象的概念によつて無意識のうちに巧妙なすりかえをなした誤りがある。この点、やや抽象的であるので、具体例をあげて論じてみる。

Aが三階建ビルの屋上にいたとき、友人Bが父親のオープンカーでそのビルの下を通りかかつたのでAはBを呼びとめて、屋上から飛び降りて右オープンカーの座席にすわるから下に止まつていろと言つてBを同意させて屋上から飛び降りたが、あいにく座席に落ちることができず、車のバンパーにあたつて重傷を負つたという事例(以下「事例一」として引用する。)を考えてみるに、原判決流に言えば、右の事例においても「人が座席にすわるのは車の座席の本来の用法である」という理由づけで、オープンカーの保有者であるBの父親は運行供用者責任を問われることになる。しかし、「事例一」のこの結論は明らかに法常識に反している。これは「三階建のビルの屋上から車の座席に乗ること」が車の座席の本来の用法ではないからである。そして、さらにこの事態を素直に考察すれば、オープンカーの運行を問題とすること自体が的はずれの議論であり、「人が三階建の屋上のビルから飛び降りる」ということは、通常人からすれば異常としか思えない自損行為であり、その自損行為の結果、発生した事故による損害は自損行為をなした者が負担するのが公平であると言える。本件も右「事例一」と全く同様であり、物品の積載されてしまつた後の状態ではなく、ブルドーザーという本来ダンプカーに積載されるべきではないものの、これから積載しようとする場合の積み込みの仕方如何が問題なのであり、さらに原判決認定の「(ブルドーザーの)キャタビラが滑つて何回も空転し、そのためキャタビラがブルドーザー後部付近の花崗土を堀り下げてしまい、その結果、ブルドーザーは前部を上に後部を下にして立上つたようになつて運転席の入江もろとも後転した」という事実を素直に考察すれば、本件事故はブルドーザーの運行によつて生じた事故、即ち、入江の自損行為による事故であると考えられる。従つて、本件の事実も、右「事例一」と状況において何ら異なるところを見い出すことができないのであるから、入江のブルドーザーの積載方法はダンプカーの運行という点ではダンプカーのダンプの本来の用法でなく、自賠法第二条第二項、第三条本文の「運行性」は否定されるべきであり、又、逆にブルドーザーの運行という点から観察した場合、運転手が入江であるブルドーザーの自損事故であることが素直に肯定されるのであつて、原判決の解釈適用は最高裁判決①に相反しており、自賠法第二条第二項、第三条本文の解釈適用を誤つている。

(3) なお、自賠法第二条第二項の「用い方に従い用いること」の解釈の指針として、国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵についての判例ではあるが、最高裁昭和五三年七月四日第三小法廷判決(昭和五二年(オ)第七六号)とその原審である大阪高等裁判所昭和五二年一〇月一四日判決(昭和四八年(ネ)第一六七四号)が参考になる。この最高裁判決は、道路の設置管理者の責任を否定するにあたり「通常の用法に即しない行動の結果生じた事故につき、被上告人はその設置管理者としての責任を負うべき理由はない」と判示しており、又、右大阪高等裁判所判決は「危険といえばブランコや鉄棒でさえその用法を誤れば危険である。およそ社会における施設は、このように異つた立場における注意すべき者の守備領域の分担において、その効用を全うしているといつてよいのであつて、その守備領域には相覆う部分はあるとしても、これを一方の全面的守備範囲に押しつけることによつては十分に機能しえないといわなければならない。防護柵として通常予想されないこのような異常な行動に出た結果、生じた事故に対してまで施設に瑕疵があるものとして、これを施設設置者の責任に帰すべきものではない」と判示している。異つた法律についての解釈論であり、本件と同一には論じえないが、社会に存在する物についての「本来の用法」ないし「目的に従つた操作」といつた法律用語を解釈する上で深い洞察に基づく法見解であり、本件においても解釈の指針とすべきものと考える。すなわち、本件においても自動車の当該装置の「用い方に従い用い」た場合の危険を担保することが自賠法の保護法域であつて、本来の用法をはなれた場合についてまで及ぼすべきではない。

以上(一)(二)に述べた如く、原判決には自賠法第二条第二項の「運行」の解釈適用を誤つた法令違背があり、右法令違背は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきものと考える。

第二点 仮に右第一点が認められないとしても、原判決には自賠法第二条第四項、第三条本文の解釈適用を誤つた法令違背があり、右法令違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決及び原判決がその理由で引用する第一審判決は、

1、加藤は大田・入江を運転手として雇用し、大田は加害車乙車(ダンプカー)の運転手で、入江はもう一台の加藤所有のダンプカー(以下、丙車という。)の運転手であつて、同じく土砂の運搬に従事していたこと(第一審判決一〇枚目裏九行目、一〇枚目裏一二行目から一一枚目表三行目まで)。

2、本件事故当時、入江は加藤方に雇用されて約一〇か月であり、大田は約一か月であり、入江の方が先輩であり、入江は二五才で大田は二三才であつたこと(第一審判決一四枚目表、七行目から一〇行目)。

3、加藤が不在の折に仕事のことにつき入江が事実上大田を指揮し、同人もこれに従うことがあつたこと(第一審判決一四枚目表一〇行日から一二行目まで)。従つて、大田は加藤がいない場合、原則として先任者、年長者であり経験の豊富な入江の仕事上の指示に従うのが順当な立場にあつたこと(原判決一九枚目裏一行目から三行目まで)。

4、加藤方には回送専用車があり、加藤がブルドーザー運搬に際して回送専用車を使用していたことは入江もよく知つていたこと(第一審判決裏四行目から六行目まで)。

5、加藤においては入江に対し、ブルドーザーを回送するときは専用車で回送するよう指示していたこと(原判決一九枚目表一〇行目から一一行目まで)。

6、それにもかかわらず、入江はダンプカーの後部付近地上にたまたまダンプカー一台分の花崗土が余つて山のように盛上つて存在しているのを踏台として利用して、ブルドーザーをダンプカーの後部からその荷台に積込むことを考え、大田にその考えを話すと共に、自分はかつてこの方法で成功した経験がある旨を告げて協力を求めたところ、大田はそのような方法は危険ではなかろうかと一応考えたが、ブルドーザーの運転免許を有し、甲車を運転したことのある入江が前にも積んだことがあるというのであるから、多分大丈夫なのであろうと思い、入江に同調したこと(第一審判決一二枚目裏五行目から一〇行目まで、原判決一七枚目裏一行目から五行目まで)。

7、そこで、入江は大田に対し、(1)乙車の運転席に就き荷台の後側板を開き、荷台前部を約五〇糎上昇させて荷台を傾斜させること。(2)甲車積込み中は乙車のフットブレーキを踏み、サイドブレーキを引いていること。(3)甲車の積込みが終つたら荷台前部を元の位置に降ろすことを指し、大田はこれを承諾し、(1)・(2)のとおり乙車の操作をしたこと(第一審判決一二枚目裏一一行目から一三枚目表五行目まで)。

8、入江は甲車の運転席に就き花崗土の山の上へ甲車を運転進行させ、右山を踏台として乙車の後部からその荷台上に甲車を乗り入れようとした(第一審判決一三枚目表八行目から一〇行目)が甲車のキャタビラが甲車後部付近の花崗土を堀り下げてしまい、その結果、甲車は前部を上に後部を下にして立ち上つたようになつて、運転席の入江もろとも後転したため、入江は仰向けになつた甲車の下敷になり、程なく死亡したこと(第一審判決一三枚目裏七行目から一二行目まで)。

を認定している。

二、原判決は右事実を認定のうえ、その理由第三項で加藤の自賠法第三条に基づく責任を肯定するにあたり、その「他人性について」と題する理由第四項で、

1、入江は本来乙車にとつて他人であること。

2、加藤の入江に対するブルドーザーを回送するときは、ダンプカーに積んで運転してはならないとの指示は明示にはなされていないこと。

3、入江が大田を全面的に服従せざるを得ない状況下において乙車を操作させたのではないこと。

を主なる理由として、入江は自賠法第三条本文の「他人」であると解釈適用して、加藤の責任を肯定している。

三、しかしながら、右原判決の解釈適用は明らかに自賠法第二条第四項、第三条本文の解釈を誤り、これらの条項に関する最高裁判所の判例と相反する判断をなしているものである。

1、原判決は前記二、1、の如く「乙車は専ら大田がこれを運転して土砂の運搬に従事しており、入江は別のダンプカーである丙車を運転して同様土砂を運転するか又は甲車を運転して整地作業を行つていたものであるから、入江は本来乙車にとつて他人である」と判示していることからすれば、(この点やや理由不備の感もするが)、入江は乙車にとつて自賠法第二条第四項の「運転者」すなわち「他人のために自動車の運転又は運転の補助に従事する者」でないから、自賠法第三条の「他人」に該るとの論理構成を採つているものと解される。なお、この点については最高裁判断昭和三七年一二月一四日第二小法廷判決最高裁民集一六巻一二号二四〇七頁は、自賠法第三条本文にいう「他人」のうちには当該自動車の運転者は含まれないとしている。

2、しかし、原判決が入江が自賠法第二条第四項の「運転者」でないと解釈適用したのは明らかな誤りである。

3、先ず自賠法第二条第四項の「運転」とは、運転行為のうち直接的な自動車機械装置の操作のみをいい、「運転補助」とは運転行為のうちのそれ以外の行為をいうものと解されるが、運転行為と事故自動車の運行目的が有機的に結合して具体的な「運行」を形成するという事故自動車の運行の点に着目すれば、その間に主従優劣の差を設ける必要がない(原島「自賠法三条本文にいわゆる「他人」の範囲」現代損害賠償法講座第三巻一三二頁)。

4、右の述べたことから明らかな如く「運転者」か否かは具体的「運行」と関連して判断されるべきであり、抽象的な地位として理解されて判断されるべきではない。たとえば、バス会社のリクリエイションの旅行で単なる旅客に過ぎなかつた被用運転者が交通事故により死傷した場合はもちろん、長距離トラックの交替運転手が仮眠中事故に遇つて死傷したような場合には、その被用運転者は他人性を失わない(多くの判例・学説によつて支持される所であることについては原島前掲一三八頁注「五八」を参照のこと)。くりかえして言えば、運転補助者を含む「運転者」は抽象的地位として理解されるべきでなく、事故発生時において果して職務上その運行に従事していたかどうか、その運行に従事すべき立場にあつたかどうかという具体的行為または状態自体から判断すべきものであるといえる(本宮「自動車損害賠償法第三条にいう他人および民法第七一五条一項にいう第三者にあたらないとされた事例」民商六二巻一号一三四頁は、これを具体的消極説と名づけ判例・学説の大勢であると指摘する)。

5、ところで、最高裁判所昭和四四年三月二八日第二小法廷最高裁民集二三巻三号六八〇頁(以下、最高裁判決②という)は、右の具体的消極説によることを明らかにし、助手に運転させることを業務命令により禁止されていたこと、運転上の指図をしていたこと、助手は事故発生の一〇日前に入社したこと等の事情を考慮し、助手に運転させた正運転手が自賠法の「運転者」であつたとして他人性を否定している(同旨の下級審判例については原島前掲一三八頁注「五九」)。

6、右の最高裁判決②及びこれと同旨の下級審判例と学説に従うならば、入江が運転補助者を含むところの自賠法第二条第四項の「運転者」であることは以下の理由により明白である。

(一) 入江は運行供用者たる加藤に対する関係において、本来ダンプカーの運転をなすべき職責を有するものであり、たまたま近くにいた者が好意で手伝つた場合とは相違がある。なお、この職責の有無の要件は、理論的には、入江が事故の発生を防止すべき責任を負担していたか否かという要件の事実的側面であると解される(最高裁判決②とその原審である大阪高裁判決の理由を対比してみればこの点は明らかである。)が、その条文上の根拠は、民法七一五条第三項に求めることができる(なお、自賠法第四条参照)。従つて、右職責の有無の要件は、本件においては運行供用者である加藤に対する関係において事故の発生を防止すべき責任を負担しているか否かを示すために意義があることであるから、入江が従来運転していたダンプカーが乙車か丙車は偶然的・無関係な事実に過ぎない。(以上の点について、自賠法第三条が七一七条の特則とする立場からではあるが、右事故の発生を防止すべき義務を運行供用者に対する善管注意義務と規定し、七一七条第三項の求償権の条文の存在を指摘するものに原島前掲一三三頁がある。)

(二) 原判決が「入江は本来乙車にとつて他人である」と認定しているのは、運転者としての地位を抽象的地位としてとらえているのであつて、この解釈は、いわゆる具体的消極説をとる最高裁判決②に相反していること。

(三) 加藤においては入江に対し、ブルドーザーを回送するときには専用車で回送するように指示していたこと(この点、原判決は「ダンプカーに積んで運送してはならないとの指示まではしていなかつた」と判示しているが、加藤方に回送専用車がある状態でブルドーザーを回送するときには専用車で回送するように指示したことは、入江が二五才の成人であることからすれば、ダンプカーに積むような一見して危険な運送方法をしてはならない、ということを当然の前提としているものと解され、原審のこの点の判示は明らかな誤りである)。

(四) 入江は右(三)の加藤の業務命令に反して前記一、6、の原判決認定の行為に出たこと。

(五) その際、入江は前記一、7、の原判決認定の事実に記載したように一挙手一投足を指示し、大田はただ入江の具体的指示に従つただけであること。

(六) 原判決が「入江が大田を全面的に服従させざるを得ない状況下において乙車を操作させたことを認めるに足りる証拠はない」と判示し、この点が入江が「運転者」に該当するか否かの理由になるかの如く判示しているが、これは大田に過失があるか否かの判断事項であつて、入江が自賠法第二条二項の運転補助者を含む「運転者」として原審認定の「運行」に対して事故の発生を防止すべき責任を負担しているか否かにかかわりのないことであること。最高裁判決②も当該事案の運転助手Bが正運転手Aに対して全面的に服従しなければならなかつたことを理由にしているわけではない。

7、自賠法第二条四項でいう「運転者」は同法第三条の「他人」には含まれないことは前記1、記載の最高裁判所昭和三七年一二月一四日判決民集一六巻一二号二四〇七頁の明言するところであり、今日に至るまで通説・判例といえる。運転者は本来事故防止の義務があり、多くの場合事故発生につき自ら過失を有するものであつて、保有者とともに不法行為責任を負うべき立場にある者であり、自賠法は被害者の保護救済を第一義としているが、運転者は運行供用者側に立つものとして被害者と対応せしめているものである。独・仏の例をみても運転者自身を「被害者たる第三者」として責任保険により保護している例は存在しない。本件の場合入江は乙車の実質上の運転者であり、少くとも「運転補助者」であることは前記事実の上からも明らかである。然るときは入江は運行供用者たる加藤に対して自賠法第三条の「他人」としての地位を有しないのである。

以上の理由で明らかな如く原判決の入江に関する「他人性」の理由づけはすべて理由がなく、入江は原判決認定の他の事情をも勘案すれば、自賠法第二条の「運転者」とくにそのうちの「運転補助者」であつたと言えるのであり、原判決にはこの点についての最高裁判決②に相反し、解釈適用を誤つた法令違背があり、右法令違背は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄されるべきと考える。なお、自賠法第二条四項の「運転補助者」に関しては下級審であるが、これを認定した判決(長野地裁松本支部昭和三四年九月二三日判決判例時報二〇七号二五頁)があることを付記する次第である。

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